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北の湖理事長死去!その偉大な功績とは!?

2015.11.21

2件

2015年11月20日、日本相撲協会の北の湖理事長

亡くなったと言う残念な出来事がありました。

北海道出身者の筆者としては同郷の偉大な力士

でもあり理事長でした。

現役時代は強すぎる横綱として輪島関と

「輪湖時代」

を形成し、引退後は相撲界に起きる様々な問題を

解決すべく奔走する理事長としての姿を多く

見ました。

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その功績を振り返りたいと思います。

 

最年少横綱昇進記録保持

中学1年生で初土俵を踏み、その後15歳9カ月で

幕下昇進17歳11カ月で十両昇進と並はずれた

スピード出世を果たしています。

その後19歳7カ月で三役へ昇進し、一度も三役から

陥落することなく、大関在位僅か3場所を経て

21歳2ヶ月の史上最年少で横綱へ昇進を果たして

います。

最年少での新十両・新入幕・新三役昇進は、後に貴花田関

他に破られていますが、最年少横綱の記録はいまだに破ら

れていません。

私が一番すごい記録だと思っているのが、横綱在位63場所

という記録です。

晩年は休場も目立つようになり、全ての場所を皆勤した

わけではありませんが、10年以上に渡って横綱の地位に

在位し続けたことは、本人にとっても誇りとの発言も

ありました。

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横綱時代のライバルは輪島

北の湖の1代前の横綱である輪島が横綱在位

時代の最大のライバルであったと思います。

対戦成績21勝23敗とほぼ互角です。

また15場所連続で、千秋楽結びの一番が両者の

取り組みだったこともあります。

特に1976年‐1977年にかけては、12場所中に

北の湖・輪島とも優勝が5回と実力も伯仲していて、

この頃を「輪湖時代」と評することになります。

現役時代は「ふてぶてしい」と評されたこともあります。

その理由として、負けた相手に手を貸さず

すぐに背を向けることがありましたが、本人談として

「手を出されると自分は屈辱と思うので

相手にもやらない」

とあり、北の湖の人柄は角界内では誠実な人柄として

評価されていましたが、相撲ファンには

悪役のイメージを植え付けてしまったことは事実です。

 

引退後もスピード出世

引退後2年で審判委員に抜擢されたのをスタート

として、翌年には審判部副部長を務めました。

その後は理事、事業部長を歴任し、2002年に

第9代の理事長へ就任しました。

2007年以降は、時津風部屋での暴行死事件や、

理事長4選目すぐに起こった力士大麻事件など

難局とも隣合わせでした。

大麻事件では弟子も関与していたことから理事長を

退く事態に発展。

4年後に理事長に返り咲いたあとは、更に起こった

八百長問題などで低迷する相撲人気を回復させようと

様々な施策を繰り出して、見事に人気を取り戻し

ました。

晩年は癌との闘いだったようです。

身を削って日本相撲協会のために命をささげた

その功績は、後世にまで語り継がれていくと

思います。

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力士の頂点に11年相撲協会の頂点である理事長に

9年と、頂点が似合いまた相応しい人だったのだと

思います。

志半ばで亡くなったことは残念でなりませんが、

冥福を祈るほかありません。

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コメント

  1. 引退後も大相撲を支えた方なんですね。
    横綱としての現役時代もそうですが、引退後も心労が絶えなかったでしょうね・・・。

      • silver-allure
      • 2016年 10月 29日

      波田様。
      コメントありがとうございます。

      色々巻き起こる問題に立ち向かう中で、相当な心身の疲弊が
      あったと推測されますね。
      本当に理事長らしい理事長だったと思っております・

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