世界中から称賛を浴びる腕前を持つ超大物ピアニスト
「フジコ・ヘミング」さん。
難聴というハンディを持ちながら、ピアニストとして彼女を
称賛する声はあとを絶ちません。
また壮絶とも言える人生を送っており、それを綴った自伝は
ベストセラーにもなっています。
年齢やこれまでの経歴など、
彼女について調べてみました。
80歳を超えても現役のピアニスト
名前:イングリッド・フジコ・フォン・
ゲオルギー=ヘミング
生年月日:1932年12月5日
出身地:ドイツ連邦共和国
学歴 東京音楽学校卒業・ベルリン国立音楽大学
職業 ピアニスト
2016年で83歳になられます。
今なお元気バリバリでご活躍されています。
息の長い活動の背景には、若い頃にしっかりと鍛錬を積んだ
ものと推測されます。
彼女のHPを見ましたが、2016年も2月から、日本各地を
コンサートで精力的に回っています。
スウェーデン人の父と日本人の母との間に1932年ドイツで
生まれ、5歳の時に日本へ移り住みましたが、父親が程なく
帰国。
日本の生活に馴染めなかったようです。
10歳からピアノを始め、それから4,5年後には「天才少女」
と呼ばれるようになったようです。
無国籍として過ごした過去がある
現在はスウェーデン国籍を有していますが、無国籍だった
という事実もあるようです。
東京音楽学校(現東京藝術大学)時代にいくつもの賞を
獲得し、卒業後はオーケストラと共演するなどして活動し、
ドイツ留学を目指してパスポートを取得したところ
「無国籍」の事実。
国の事情や背景が招いたことですが、留学の道が閉ざされようと
しました。
彼女の話を聞きつけたドイツ大使館が力を貸し、赤十字認定の
難民として留学を果たすことになりました。
留学後はヨーロッパに残ってピアニストとして活動しましたが、
生活は大変厳しかったようです。
冬に暖房を付けることが出来ず風邪をひき、チャンスを逃した
こともあったのだとか。
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日本に戻ってから才能が開花
お母様が無くなったことを機に1995年日本へ戻ります。
地道にコンサート活動を行っていたようですが、1999年に
NHKに取りあげられたことをきっかけにブレイク。
その後は日本どころか世界をも認めさせるピアニストとして
地位を築きました。
ヨーロッパでの極貧生活に耐えたからこそ、地位・名誉・
お金を手にできたのだろうと思います。
元々「天才少女」と呼ばれたほどの腕前です。
チャンスをしっかりものにして羽ばたいたと言うことでは
ないでしょうか。
最後に
2016年5月30日の「人生が変わる1分間の深イイ話」で
彼女が取りあげられます。
現在の暮らし振りなどが紹介されます。
違った彼女の一面が見られるかもしれませんね。