中後悠平は千葉ロッテを戦力外!大学時代は日本代表も経験!

千葉ロッテマリーンズで、主に中継ぎ投手として活躍した

中後悠平さん

ルーキーイヤーから27試合に登板も、以後は登板数は

減って行きます。

2015年4月に結婚し、まさにこれからという時の戦力外

通告でした。

大学時代には日本代表も経験し、ドラフト2位で入団もわずか

4年での非常通告

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プロ入り後は怪我と制球難に苦しみました。

そんな彼の戦績を追ってみたいと思います。

大学時代は斎藤佑樹・菅野智之とともに日本代表

名前:中後悠平(なかうしろ ゆうへい)

生年月日:1989年9月17日

出身地:大阪府

出身校:近畿大学付属新宮高校‐近畿大学

プロ入り:2011年・千葉ロッテドラフト2位

プロ通算成績:2勝2敗、防御率5.68、登板数37試合

近畿大学時代は関西学生リーグでMVP、ベストナインを

獲得し、幾度となく大学日本代表にも選出されました。

同じ日本代表には、菅野智之や斎藤祐樹と言った選手がいました。

左のサイドスローやスリークォーター気味から、キレの良いボールを

繰り出し、学生時代は三振を多く奪う投手でもありました。

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ドラフト2位でプロ入り

2011年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズへ入団

(1位は藤岡貴裕)

即戦力の期待さながらに開幕一軍を勝ち取ると、開幕試合で

プロ初登板を果たします。

初登板から3週間後にはプロ初勝利を記録。

プロ1年目は27試合登板で2勝2敗5HPを記録しました。

即戦力としてはまずまずの成績だったと言えますが、

ルーキーイヤーから制球に苦しむ場面もみられました。

ストレートはほとんど投げず、キレのいいスライダーを

コーナーに投げ分ける投手で、彼の生命線とも言える球種

でした。

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結局は制球難に苦しんだ

2013年以降は満足した成績を残せませんでした。

2013年に負った怪我の影響があるかとは思いますが、

最終的には制球難を克服できず、1人1殺を要求される

変則左腕にとって、起用しにくい面があったと思います。

変則フォームと言われた彼でしたが、プロからすると

変則ではなかったかも知れませんね。

最速150キロを記録するストレートと、スライダーを始めと

した多彩な変化球が持ち味でしたが、通用したのはスライダー

だけだったかな?と言う印象もありますね。

2013年と2014年はともに5試合の登板に終わり、ルーキーイヤーに

取れていた三振もほとんど取れなくなってしまいました。

2015年シーズンは1軍登板がなく戦力外通告となりました。

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最後に

この記事を書いている時点では、BCリーグの武蔵ヒート

ベアーズへ入団が決まりました。

(その後、マイナーリーグへのチャレンジも決まります)

間もなく第1子が誕生する段階で厳しい決断だったと

思いますが、きっとNBP復帰をにらんでのことと思います。

変則左腕の需要は大きいです。

制球力を磨き復帰を目指してもらいたいですね。