盛田幸妃は脳腫瘍と戦った悲劇の投手!現役時代の成績も調査!

1987年に横浜大洋ホエールズから、ドラフト1位指名

されて入団した「盛田幸妃」さん。

入団5年目には、最優秀防御率のタイトルを獲得するなど

早くから才能が開花しました。

大阪近鉄バファローズに移籍後は、脳腫瘍との戦い。

そんな中でも1軍登板を果たし、カムバック賞を受賞

若くして亡くなりましたが、存在感はありました。 

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そんな盛田さんについて調べてみました。

現役時代から脳腫瘍との戦い

名前:盛田幸妃(もりた こうき)

出身地:北海道茅部郡鹿部町

生年月日:1969年11月21日

学歴:函館大学付属有斗高等学校卒業

経歴:横浜大洋ホエールズ

横浜ベイスターズ (1988 – 1997)

近鉄バファローズ

大阪近鉄バファローズ (1998 – 2002)

1998年8月に「骨膜腫」が見つかり翌月には摘出手術を

行います。

手術は成功したのですが、右足に麻痺が残るなどプロ野球

選手として活躍するには重い後遺症でした。

しかし、懸命なリハビリと驚異的な回復力を見せて、1年後

には1試合ながら、1軍に復帰を果たします。

2002年に33歳で現役引退。

脳腫瘍が選手生命を短いものとしてしまいました。

現役引退後は、横浜ベイスターズの球団職員として勤務しつつ、

TBS系列のラジオ解説を勤めていました。

特に北海道のラジオ局では、日本ハムファイターズの解説を

行っていました。

2010年頃から脳腫瘍が再発し、入退院を繰り返します。

 

2015年10月に懸命な闘病生活も力尽き、45歳の若さで

亡くなりました。

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大洋ホエールズ時代・・・

ルーキーイヤーから1軍登板を果たすなど、将来を嘱望されて

いました。

ブレイクしたのは1992年。

シーズン途中から中継ぎへ配置転換され、抜群の制球力で

中継ぎ陣を支えました。

 

この年は登板のほとんどが中継ぎでありながら、規定投球回に

達して最優秀防御率を獲得しています。

1996年から先発に配置転換となりましたが、調整法に苦しみ

打ちこまれる場面も増えました。

次第に登板試合数も減り、1997年のオフに近鉄バファローズへ

トレードとなりました。

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近鉄バファローズ時代・・・

移籍してからは中継ぎ専門となりました。

移籍初年度となる1998年はまずまずの結果を残し、中継ぎ

投手陣の柱となりましたが、翌年から脳腫瘍との戦いを

余儀なくされます。

2001年にはカムバックして、チームのリーグ優勝に大きく

貢献しました。

この年にはオールスターゲームにも、中継ぎ投手として1位の

票を集めて出場しています。

翌2002年には2試合の登板でオフに引退します。

懸命なリハビリで再起しましたが、体が悲鳴を上げていたの

かもしれません。

盛田幸妃 執念の復活劇

最後に

出身が筆者と同じ北海道で年代もほぼ一緒です。

高校生の頃から有名な選手でした。

とにかくキレのあるボールを投げていました。

選手としてのピークは短かったですが、同郷の誇りと

いえる選手です。