西宮冷蔵の今は?社長の水谷洋一と子供は壮絶な生活だった!

大企業の不正を告発したことで一躍有名企業になり、

時の人となったのが「西宮冷蔵株式会社」「水谷洋一社長」です。

日本の食の安全を脅かす不正に対して、正義感を押し出した行動

でしたが、悲しいかな、不正に加担したとして、西宮冷蔵と

水谷社長は業務停止処分を受けてしまい取引先が離れていきます。

業務を縮小したのちに復活を遂げましたが、またも窮地に追い込まれる

ことに。

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その陰では子供も壮絶な人生を歩んでいました。

そんな西宮冷蔵と水谷社長についてまとめてみました。

何故西宮冷蔵は窮地に追い込まれたのか?

毎日安心安全な食材を口にする、当たり前のことですが、

2001年に食の安全を根底から揺るがす出来事がありました。

狂牛病の牛が発見されたのです。

この出来事に対し、国は速やかに対策を講じ、国産牛肉を

買い取る制度を作りました。

が、しかし、この制度を悪用する大手企業が現れたのです。

 

その中の1社が「雪印食品」

当時では大手食品メーカーとして名前は知れ渡っていました。

筆者は北海道の出身で、子供の頃からとても馴染みのある

会社だったので、とても驚いたことを覚えています。

しかもその前年には、親会社の「雪印乳業」が食中毒事件を

起こしていて、その時の対応の不誠実さは何度もメディアで

報道されていたのです。

にもかかわらず…また…と言うのが率直な感想。

悪用とはどういうことだったのかというと、牛肉買い取りに

対し国は助成金を支払ったのですが、「雪印食品」は輸入牛肉を

国産と偽って申告して、多額の助成金を手に入れたのです。

 

その額は億単位ともいわれています。

 

その牛肉偽装が、下請けとして倉庫を貸していた西宮冷蔵の

倉庫で行われており、見るに見かねて告発に至ったのです。

この告発後、西宮冷蔵も加担した企業として業務停止命令を

受けました。

そして、この一件が引き金となり取引先も離れてしまい、

事業継続は困難な状況に追い込まれたのです。

西宮冷蔵のHPへ飛びます

↓↓↓

復活するもまた窮地に追いつめられる

水谷社長の行動や心意気に共鳴した支援者たちから支援金を集め

2004年には事業を再開します。

とは言っても、事業はかなり縮小せざるを得なかったのが実情。

それでも西宮冷蔵は企業として息を吹き返したのです。

事業も軌道に乗ってきた2014年にまたも試練が訪れます。

主要取引先業者から、農薬に汚染された冷凍野菜の「密輸」に

加担するように求められます。

水谷社長は当然のことながらこの要求を「拒否」します。

これを引き受けてしまっては、「雪印食品」を告発した意味が

無くなるからです。

しかしながら、この「拒否」が要因となって売上は激減。

またも事業を止めざるを得なくなったのです。

立場の強い企業が自己の利益追求のために、違法行為に協力会社を

巻き込み、断ったら潰しにかかるという構図です。

それでも水谷社長は自らの信念を曲げることなく「巨悪」に

立ち向かったのです。

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お子さんも壮絶な経験をしていた

事業が縮小されるということは、それだけ収入も減ります。

水谷さん一家もそうなってしまっていました。

水谷さんには娘さんがいらっしゃいます。

「真麻」さんといい、現在はメディアで記事の執筆も手掛けて

います。

その真麻さんですが、中学校時代はバレーボールに打ち込み、

将来も有望視されていました。

当然高校もバレーボールの強い私立への夢を持っていたようですが、

収入減によりやむなく公立高校へ進学。

そこではバレーボールを続けることが出来ず、心が荒んでしまいます。

そして、高校2年生の時に飛び降り自殺を図ってしまうのです。

幸い一命は取り留めたものの、車いすでの生活を余儀なくされました。

とても痛ましい事故ではありますが、水谷社長は献身的に真麻さんの

お世話に励まれているようです。

生活が困窮したが故の家離散の危機でもあったと思いますが、

今では愛情に満ち溢れた親子関係となっていることが伺えます。

最後に

正義を貫いたことはとても立派ですし、なかなか出来ることでは

ありません。

ただ、その代償があまりにも大きすぎたのは事実です。

もうこのようなことはないと思います。

一家仲睦まじく暮らして欲しいと切に願います。