相撲には欠かせない行司とは?由緒ある名前や歴代の行司を紹介!

相撲は日本の国技として老若男女問わずゆるぎない

人気がありますよね。

相撲の主役はもちろん力士ですが、相撲には欠かせない

裏方がいます。

力士と共に土俵へ上がり、きらびやかな装束で軍配を裁く

「行司」です。

大相撲の歴史同様に、行司にも長い歴史があり、由緒ある

名前が多いです。 

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今回は行司の名前についてです。

伝統ある名前の筆頭「木村庄之助」と「式守伊之助」

行司の定員は45名とされていて、当然ながら全員に名前が

ありますが、その全てが伝統のある名前と言うわけではありません。

主に幕下格以下では、当代限りの名前を付ける行司さんが多いです

(例外もあります)

経験を積んで出世していくと「木村庄之助」を名乗ります

(2017年5月現在は空位)

別の記事でも触れますが、経験を積めば誰でも木村庄之助になれると

いうわけではありません。

これまでに37人が木村庄之助の名前を継いできました。

木村庄之助に次ぐ名前が「式守伊之助」です。

立行司は2人いますが、序列でいうと式守伊之助は下になります。

また、ほとんどの木村庄之助は式守伊之助を経ています

(過去には例外もあり)

代数でいえば、木村庄之助は37代、式守伊之助は40代で、他の伝統的な

名前とは代数の数が違います。

三役格以下でも由緒ある名前は多い

主だったところを列挙してみると

「式守錦太夫」

「式守勘太夫」

「式守与太夫」

「木村庄太郎」

「木村玉光」

「木村玉治郎」

「木村庄三郎」

「木村朝之助」

「木村正直」

などいくつもあります。

誰もが好きな名前を名乗ることはできるわけではありません。

行司の師弟関係であったり、所属部屋(一門)の都合などがあります。

また、××を名乗ったあとは○○を名乗るという、仕来りみたいなものが

存在することもあります。

主だった名跡を見ていきましょう

「式守錦太夫」

この名前を経て近年立行司へ昇格した主な人は、28代木村庄之助、

29代木村庄之助、40代式守伊之助がいます。

28代木村庄之助は、2代木村林之助→8代式守錦太夫を経て襲名

29代木村庄之助は、2代式守慎之助→9代式守錦太夫を経て襲名。

40代式守伊之助は、木村吉之輔→11代式守錦太夫を経て襲名。

二所ノ関部屋へ所属すると、慎之助→錦太夫の流れですが、それ以外の

部屋に所属して式守錦太夫を襲名する場合は、その限りではありません。

「式守勘太夫」

この名前を経て近年立行司へ昇進した主な人は、26代木村庄之助、

30代式守伊之助、36代木村庄之助がいます。

当代は11代目ですが、2代目から10代目までは、式守与之吉(與之吉)を

名乗ったあとに襲名しています。

10代目までは、時津風一門または立浪一門に所属する行司が名乗って

いましたが、当代は二所ノ関一門に所属していました(襲名前は木村和一郎)。

「式守与太夫」

この名前を経て近年立行司へ昇進した主な人は、34代木村庄之助。

空き名跡の期間が長かったこともあり、近年ではこの名前から立行司に

なった人は少なくなっています

(2017年5月時点でも空き)

10代式守与太夫が、1983年に現役で逝去してから、次の襲名者が出るまで

9年ありました。

また12代式守与太夫が、将来的に式守勘太夫の襲名を希望して、与之吉を

襲名したという珍しいケースもあります。

「木村庄太郎」

この名前を経て近年立行司へ昇進した主な人は、27代式守伊之助がいます。

「木村家」の中でも、特に由緒ある名前で、代数は木村玉光についで2番目

に多い15代を数えます。

この名跡も空いている期間が長かったため、立行司へ昇進した人は少ない

状況です。

二所ノ関一門所属の行司が名乗ることが多いです。

近年では春日野部屋所属の行司が受け継いていますね。

木村善之助から木村庄太郎を名乗る流れが出来つつあります。

まれな例としては、春日野部屋に所属していた29代式守伊之助は

木村善之助から、木村庄太郎を経ずに、立行司に昇進しました。

「木村玉光」

この名前を経て近年立行司へ昇進した主は、25代木村庄之助まで遡ります。

木村家でも由緒ある名跡ですが、「悲運の名跡」とも呼ばれています。

25代木村庄之助(14代襲名)は、差し違えの責任を取らされ定年前に

引退に追い込まれました。

15代木村玉光は、現役中に肝臓がんで逝去。

16代木村玉光は、三役格昇進後から怪我や病気に苦しみ、立行司昇進を

辞退し、定年間近の数場所は休場する不運に見舞われています。

「木村玉治郎」

この名前を経て近年立行司へ昇進した主な人は、27代木村庄之助、

37代木村庄之助がいます。

当代が6代目で代数は少ないですが、この名跡は師弟関係によって

受け継がれています。

4代は木村玉治郎のあとに立行司となりましたが、5代目は木村庄三郎を

経て立行司となっています。

筆者の勝手な推測ですが、当代の木村玉治郎は、4代木村玉治郎に

憧れて行司を志したと言われています。

言ってみれば「木村玉治郎になりたい」という感じでしょうか。

5代が木村庄三郎を襲名したのは、6代のために譲ったのでは…

と思っています。

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当代限りの名跡でも立行司へ

伝統ある名跡について書きましたが、必ずしも全ての人が襲名できる

わけではありません。

当代限りの名前を名乗って立行司に昇進した人もいます。

32代木村庄之助(木村郁也⇒木村咸喬)、

35代木村庄之助(木村順一⇒木村純一郎⇒木村順一⇒木村旬一⇒木村城之介)

譲り名がなかったのか、本人のこだわりがあったのか、定かではありませんが、

当代限りの名前を襲名してきました。

とは言え、この名跡も将来的に誰かが襲名することで、代数が増える

ことも予想されます。

そういう観点で言えば、22代木村庄之助は三役格行司の間「木村容堂」を

名乗っていましたが、弟子の30代木村庄之助が2代目を襲名し、

2017年3月現在の番付の書き手である、3代木村容堂(前名は木村恵之助)

と受け継がれています。

由緒ある名跡へ、歩みを進めていると言えるでしょう。

最後に

ここに書いた以外でも、たくさんの名跡があります。

途絶えてしまった名跡や、長い時を経て復活した名跡などもあります。

木村庄之助や式守伊之助以外にも、注目してもらいたいと思って

この記事を書きました。

行司の名跡から辿って調べていくと、また違った観点から相撲の歴史に

触れることも出来ます。

番付・相撲字の記事はこちら

行司の掛け声・呼び上げの記事はこちら