村松亮太郎(クリエイター)の経歴は?俳優の過去や仕事も調査!

数年前に、東京駅がプロジェクトマッピングで彩られた

ことを覚えている人は多いのではないでしょうか。

その仕掛人の「村松亮太郎」さんが、2016年12月17日の

「クロスロード」で取り上げられます。

「魅せる」ことを追求してやまない村松さんは、様々なジャンルで

その名を轟かせています。 

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そんな村松さんの経歴などについて調べてみました。

業界のトップと仕事をするという信念

名前:村松亮太郎(むらまつ りょうたろう)

生年月日:1971年5月5日

出身地:大阪府堺市

学歴:私立清教学園高校

→関西外国語大学中退

職業:株式会社ネイキッド代表取締役社長

村松亮太郎さんのことを調べていて感じたことは

「仕事にかける情熱が半端じゃない」

ということでした。

高校時代に映画と音楽に魅せられアメリカ留学を経験。

日本に戻って大学へ進学するものの、進学した大学が自分の

進みたい方向に合わず中退。

その後、紆余曲折を経てデジタルアートの世界へ身を置く

ことになります。

 

現在社長を務めている「株式会社ネイキッド」は1997年に

設立。

 

設立と同時に「各業界トップの人と仕事をする」と決めた

そうです。

その努力が結実して「クリエイター」として大成功を収めます。

画像をクリックすると、株式会社」ネイキッドのHPへ飛びます

mur

映画俳優を目指していた

高校3年生の時にアメリカ留学を経験しています。

映画に魅せられての留学だったようですね。

帰国後は関西外国語大学へ進みましたが、夢を諦めきれずに

中退して俳優への道へ進みました。

1990年代前半と言えば「トレンディードラマ」の全盛期。

映画に拘っていた村松さんには合わなかったのかもしれません。

事務所とは何度も対立をしたといいます。

事務所としては「TV俳優」として売り出したかった

のかもしれませんね。

年齢も若くイケメンの彼ですから、そう考えることも不思議

ではありません。

断固として映画に拘る彼はそのうち「自分で映画を作る」

ことに情熱を傾けるようになります。

事実「株式会社ネイキッド」で、映画を作成し劇場公開に

つなげています。

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東京駅のプロジェクトマッピングは有名

「株式会社ネイキッド」は主にデジタルアートを手がけて

いる会社です。

業績は数々ありますが、私が村松さんを知ったのは

2012年の「TOKYO HIKARI VISION」です。

メディアでも大きく取り上げられたので、覚えている人も

多いのではないでしょうか。

「3Dプロジェクションマッピング」が世に大きく知れ渡る

きっかけともなったイベントです。

東京ミチテラス2012 東京駅プロジェクションマッピング【HD】EOS 5D Mark III

一体どんな仕組みになっているのか、凡人の筆者には

想像もつかない世界ですが、23万人もの人を動員する

ことができました。

ただただ魅了されるだけですが、村松さんは決して作品には

満足していないようで、それが彼の仕事のエネルギーと

なっているようです。

一流のクリエイターはみなさんそうなのかも知れませんね。

筆者はすぐに満足して今います(笑)

あべのハルカスの展望台ハルカス300で3Dプロジェクションマッピング

最後に

日本のみならず世界でも活躍する村松亮太郎さんですが、ここにも

世界で活躍する人がいたのかという想いです。

現状に満足することなく、あくなき追及にこだわる村松亮太郎さんに

これからも注目していきたいと思います。