相撲協会理事長代行は八角親方!これまでの経歴は!?

北の湖理事長の死去に伴って、次の理事長が

決まるまでは八角親方が理事長代行

事業部長を兼務することになりました。

名古屋場所以降は、協会ご挨拶の際に

理事長の代読をしている姿も見られました。

現役時代は鋭い突き押し相撲で横綱になり

八角部屋を興してからは、多くの関取を輩出

しました。

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現役時代からこれまでを振り返ってみたいと

思います。

現役時代は稽古の虫として有名

現役時代のしこ名は「保志」から大関昇進と

共に「北勝海」に改名しています。

1979年3月に初土俵を踏み、19歳で新十両

20歳で新入幕を果たします。

彼の同期は「花のサンパチ組」と呼ばれ、

彼以外にも同期が幕内で多数活躍することに

なります。

サンパチ組の他の力士では、双羽黒、小錦、

寺尾、琴ケ梅、孝乃富士などがいます。

とにかく稽古熱心では角界でも随一と

言われていました。

本来なら務めるべき雑用も、彼は免除されて

いたと言うことです。

横綱審議委員、師匠(九重)、千代の富士も

口を揃えて「稽古熱心」と評していて、

稽古の賜物が横綱になった典型と言えるでしょう。

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幕の内最高優勝回数は8回

四股名の由来は、出身地でもある北海道の

十勝地方にちなんでいます。

大関4場所目の1987年3月場所で、昇進後の

初優勝を果たします。

翌5月場所は綱取りがかかった場所ですが、

13勝2敗の準優勝に終わり昇進が危ぶまれ

ましたが、先にも述べた「稽古熱心」

姿が横綱審議委員にも好評で綱取りが実現

しました。

新横綱2場所目の9月場所で横綱での

初優勝(通算3回目)を飾りましたが、翌年から

持病の腰痛を悪化させてしまい、休場がちな

場所が続きました。

その後5回の優勝を果たしましたが、1992年

3月場所を最後(番付上は5月場所)に引退

横綱在位は29場所(番付上は30場所)。

横綱としての勝率は.767でした。

引退後は八角を襲名しスカウト能力は抜群との声

八角部屋を興してから隠岐の海、大岩戸、北勝力、

海鵬と言った関取を9人育て、関取予備軍の幕下力士が

多いのが特徴です。

全体的に弟子の数が多く、スカウトの手腕と能力は

高く評価されています。

大相撲中継の解説やスポーツニュースでは自分の

コーナーを持つほど、TVにも多く露出しています。

2010年に役員待遇に就任したものの、八百長問題に

弟子が関与したこともあり、翌年に役員待遇を辞任

しました。

更に翌年の役員改選で理事に当選して広報部長他の

役職につきました。

2014年の役員改選では、協会№2とも言われる

事業部長に就任し、先日北の海理事長の死去に伴い

理事長代行となりました。

律義で真面目な性格は、マスコミを含めた相撲関係者

からも好評を得ていました。

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稽古稽古で横綱まで駆け上がりました。

同じ部屋でもある千代の富士との壮絶な稽古は

有名で、お互いにあの稽古がなかったら力士として

寿命は長くなったと語っています。

引退時に「稽古が出来る気力がなくなったら

もう終わり」と語ったのは有名です。