片山博視は楽天を戦力外!トライアウトや一軍の成績や特徴を調査!

楽天の中継ぎ投手として活躍した『片山博視』さんが

2017年10月1日に戦力外通告を受けました。

2017年12月30日に放映される

『プロ野球戦力外通告 クビを宣告された男達』

でも取り上げられます。

チーム最多登板も果たし、中継ぎで大車輪の活躍をしたことも

ある投手ですが、度重なる怪我が尾を引いたこともあって、

思うような結果を残すことが出来ませんでした。

育成契約となったり、野手転向後再び投手に戻ったり、

現役晩年は慌ただしい時間も過ごしました。

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そんな片山博視について調べてみました。

戦力外の要因やトライアウトは?

名前:片山博視(かたやま ひろし)

生年月日:1987年4月19日

出身地:兵庫県三原郡三原町(現:南あわじ市)

投打:左投げ左打ち

選手歴:報徳学園高等学校

    東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年高校生ドラフト1位)

2015年から2017年にかけて1軍での試合出場はありません。

生年月日から見て分かる通り30歳です。

この年齢で3年間1軍の試合に出ることが出来ないと、

戦力外と言う結果も仕方がないかと言う感じです。

2014年から左肘の怪我に悩まされてきました。

2015年はその影響もあって1年間だけ野手へ転向も経験。

20代半ばでの投手から野手への転向は、阪神タイガースに

所属している「糸井嘉男選手」が思い出されます。

糸井選手の場合は、転向初年度に2軍とは言え月間MVPを

獲得やシーズン打率3割を記録するなど結果を残しました。

片山博視さんはそこまでのアピールは出来なかったです。

2016年は育成契約となり投手へ再転向(一軍登板なし)。

2017年はシーズン開幕前に「左肘内側側副靱帯再建手術

(俗にいうトミージョン手術)」を受けました。

手術後の回復が完全ではないまま戦力外通告。

トライアウトを受験しましたが、そのタイミングでは

術後完全回復していない状態です。

打者4人に対し、1安打2三振1四球です。

最速で147キロを記録したストレートは、怪我の影響もあり

134キロでした。

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一軍での成績や選手としての特徴

2017年終了時点のプロ通算成績

206試合登板 8勝16敗48H 防御率3.13

先発として登板したのは14試合。

プロのキャリアのほとんどを中継ぎ投手として勤めてきました。

2010年53試合、

2011年59試合(チーム最多)、

2012年41試合、

2013年31試合

主力として活躍していた時の年度別登板数です。

選手として生でも見たことがあり、TVでも見たことが

ありますが、筆者の印象としては「四死球が多い投手」です。

素晴らしいスライダーを投げることもありましたが、

全体的にコントロールがよい投手とは言えませんでした。

結果として荒れ球気味になり、2010年は防御率1.88でしたが、

以降のシーズンでは防御率は3点台です。

プロ初勝利は3年目。初先発・初完投・初完封と言う華々しい

船出でしたが、その後は先発しても中盤に崩れるというパターンを

繰り返してしまいました。

2010年に、その年就任したマーティン・ブラウン監督に

中継ぎ投手としての適性を見出されたのです。

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その後の進路

トライアウトでは、現時点で出せる力は出したことだと

思いますが、NPBからのオファーは来ませんでした。

プロ野球独立リーグでBCリーグに所属している

「武蔵ヒートベアーズ」へ入団が決まりました。

 

投手兼任コーチと言う肩書です。

現役時代は華やかな舞台で活躍したものの、晩年は怪我に苦しみ、

野手転向・投手再転向など、苦労を重ねました。

その経験をNPBを目指す選手たちに、余すところなく伝えて

欲しいと思います。

最後に

入団1年目に左ひじを痛めています。

当初から肘に不安を抱えながらの現役生活だったと想像します。

2013年は楽天が初の日本一に輝いた年ですが、シーズン終盤までは

中継ぎ投手陣に名前を連ねていました。

選手として不完全燃焼で終わった分、指導者として花開いて欲しいと

思います。